危機に直面したときこそ、本質が浮かび上がる。
この予想外の出来事が意味する核心は何か?
今週は5人の論客の緊急寄稿を掲載しています。
まったく不発であった。
私は日本の総理不信任案のことだけを云っているのではない。
日本のみならず、アメリカの政治においても、リーダーシップについては「不発」の趣きがつよい。
むろん、アメリカの政治を論じる場合、テクニカルな側面を見逃せないことは、云うまでもない。
しかしまた、アメリカの大統領選挙が、選挙人とか、州ごとのまとめての得票といった制度に、アメリカ政治の伝統的なアイデンティティがはたらいていることも否定できまい。
いずれにしろ、肝腎なことは、日本においても、アメリカにおいても、リーダーシップが本質的かつ本格的に傷ついたということなのである。
リーダーシップが傷ついたというのは、巷間云われるように、いずれに決まるにしろアメリカの新大統領の政治的統率力が損なわれてしまうだろう、というようなことではない。
今回の選挙で明らかなように、民主、共和党双方の大統領候補が、ほとんど違わない政策しか提示できず、キャンペーンにおいても、広告代理店の指導の下、同じようなパフォーマンスしか提示できなかった。
そのあげくの、今回のフロリダ騒動である。
つまるところ、米国民は投票において何も決定できないのではなく、そもそも決定すべきことがないのだ、ということが、キャンペーンから、手集計にいたるまでの、アメリカ総選挙の動向であった。
二十一世紀の民主主義が直面するのが、リーダーシップの再構築であることは間違いあるまい。