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目  次

Part1
ひと月百冊を読み、三百枚を書く

Part2
限界まで働かずに、何の甲斐があるのか

Part3
本を読むときに大切な「こころ構え」

Part4
「読む」とは何か

Part5
ページを「折る」

Part6
「抜き書き」の大きな効用

Part7
テレビに情報価値はない

Part8
新聞は朝日、産経、ヘラトリ

Part9
中西輝政先生の情報収集術

Part10
自分の「情報戦略」の見直し

Profile
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portrait
福田和也 文芸評論家・慶應義塾大学助教授(10/全10回)
2001.05.31


【Part10 自分の「情報戦略」の見直し】
 こうした要素を考えてみれば、湾岸戦争を書くのにも、いろいろな要素があるのが分かりますし、その中には、いくつも興味深い論点があることも分かります。

 そうした論点を扱うにしても、政治や外交だけではなく、社会学的に考えることもできれば、あるいは経済的にも考えることができるでしょう。さらにはメディア論からも、興味深い分析が出来るに違いない。

 このように考えた時に、私に何が出来るか、何を書くべきか、ということは、自ずとあきらかになるわけです。
 それは、すなわち、文学、あるいは思想的な観点に立ちながら、日本人にとっての湾岸戦争を論じることでしょう。

 このことは、ホワイトハウスにコネがなくても書くことができるし、あるいは外交史に精通していなくても書くことができます。無論、中西先生の議論には及ばないでしょうが、きちんと書けば論壇でそれなりに注目を集め、読者にある程度受け入れられる原稿が書けるに違いない。

 そういう考えに立ちかえってみると、自分の情報戦略が、いかに間違っているか、ということに気がついたのです。
 つまりは、かくも沢山の新聞を購読し、それを読んでは切り取り、スクラップをしているということが。

 たしかに、それらはなかなかに面白い記事であったり、論評であったりします。
 けれども、それはけして、すべて有用なものではありません。
 つまりは使いこなせるものではない。

 だとすれば、そのほとんどは、無駄であり、不要であるということになります。
 もしも、自分の書く物に使わなかったり、あるいは自分の知見を大きく広げてくれることに役立たないのであれば、そんな資料を集めている時間に、構想を練ったり、書いたり、あるいは寝たりしている方がいいのです。

 そう考えると、自分が論壇で書くのに必要な情報は、けして特別なものではない、ということを悟りました。
 その情報だけで、特殊な価値を持つようなものは、私にはいらないし、というよりもそもそも手に入れられない。

 私に必要であるのは、たいした情報ではないのです。普通の新聞にのっていること、つまりは誰もが簡単に入手しうるもので構わない。それを料理することに、私の存在価値があるのです。
 そう考えた時に、私は新聞の購読を片端から停止していきました。

■普通の新聞にのっている情報からでも、読者に受け入れられる原稿を書くことは可能。

 忙しくなるに連れて、新聞を読む時間はもったいなく――実際、日本の新聞は、どれもこれもよく似ているのです――なり、ついに現在のような形になったのです。

(全文終了)


編集部注 : 掲載した記事はWeb用に構成したものであり、単行本『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』とは見出しや内容が一部異なります。全文は単行本をご覧ください。

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