【Part10 自分の「情報戦略」の見直し】
こうした要素を考えてみれば、湾岸戦争を書くのにも、いろいろな要素があるのが分かりますし、その中には、いくつも興味深い論点があることも分かります。
そうした論点を扱うにしても、政治や外交だけではなく、社会学的に考えることもできれば、あるいは経済的にも考えることができるでしょう。さらにはメディア論からも、興味深い分析が出来るに違いない。
このように考えた時に、私に何が出来るか、何を書くべきか、ということは、自ずとあきらかになるわけです。
それは、すなわち、文学、あるいは思想的な観点に立ちながら、日本人にとっての湾岸戦争を論じることでしょう。
このことは、ホワイトハウスにコネがなくても書くことができるし、あるいは外交史に精通していなくても書くことができます。無論、中西先生の議論には及ばないでしょうが、きちんと書けば論壇でそれなりに注目を集め、読者にある程度受け入れられる原稿が書けるに違いない。
そういう考えに立ちかえってみると、自分の情報戦略が、いかに間違っているか、ということに気がついたのです。
つまりは、かくも沢山の新聞を購読し、それを読んでは切り取り、スクラップをしているということが。
たしかに、それらはなかなかに面白い記事であったり、論評であったりします。
けれども、それはけして、すべて有用なものではありません。
つまりは使いこなせるものではない。
だとすれば、そのほとんどは、無駄であり、不要であるということになります。
もしも、自分の書く物に使わなかったり、あるいは自分の知見を大きく広げてくれることに役立たないのであれば、そんな資料を集めている時間に、構想を練ったり、書いたり、あるいは寝たりしている方がいいのです。
そう考えると、自分が論壇で書くのに必要な情報は、けして特別なものではない、ということを悟りました。
その情報だけで、特殊な価値を持つようなものは、私にはいらないし、というよりもそもそも手に入れられない。
私に必要であるのは、たいした情報ではないのです。普通の新聞にのっていること、つまりは誰もが簡単に入手しうるもので構わない。それを料理することに、私の存在価値があるのです。
そう考えた時に、私は新聞の購読を片端から停止していきました。