風の音を聞いても、何かを聞き取る人がいる。
文芸評論家・福田和也氏がイタリアのナポリを訪れた。
その感性がとらえたものとは……。 ガイドブックには決して載らない数々。
今(2000年11月11日)、イタリアは南部最大の都市、ナポリにいます。
実は、私はヨーロッパも、イタリアもたびたび行っていながら、
南部に足を踏み入れるのは最初のことです。
というのも、少し事情がわかっている方はご存知だと思いますが、
ナポリには日本人が足を踏み入れ難い要因がいくつもあるからです。
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ナポリ湾を望む
撮影:福田和也(以下同) |
まず、第一に治安が悪い。
実際に、地元のタクシーの運転手でさえ、「あそこは……」というようなところがたくさんあります。
それから、文化的イベント、つまりはビエンナーレとかコンファレンスといった行事がほとんどない。
さらに、これは私とはあまり関係ありませんが、いわゆるブランドの店などが存在しない。
観光資源としても、近郊のポンペイくらい(といっても、たいしたものですが)なので、わざわざナポリに滞在する理由がまったくないのです。
ゆえに、日本人はほとんど市内にいません。
今日まで3泊しましたが、ポンペイ遺跡(ローマから長駆バスでくるようです)以外では日本人を見ていません。
いかにシーズンオフとはいえ、これは異常なことです。
あんなに、イタリア好きといわれる日本人なのに。
しかし、ナポリは魅力的な街です。
高台から、ナポリ湾をのぞんで、ベスビオ火山から、
遠くシチリア島までを一瞥できる眺望のもとに、南国風の市街が広がっている様を見たものは、
「ナポリを見て死ね」という、警句にうなずかざるをえないでしょう。
イギリスの代表的なガイド・ブックである、ドーリング・キンズレイは、
ナポリの繁華街の一つ、サンタルチア通りのことを「striking contrast」と評していますが、
この形容は、おそらくナポリ全体に通用することでしょう。
七つの大罪をつきまぜて、混沌と云う悪徳のもとに、活火山のふもとに振りまいたような市街と、余りに美しい、陽光と風景。あまりに劣悪な人々の生活と、オリーブとオレンジが咲き乱れる山野。陽気かつ親切な気性と、救い難い沈鬱さ。
その点では、ナポリは、人間と人間の作った文化を考える上で、
またとない、興味深い土地です。
といっても、この土地がかくも興味深くなったのは、
ただ天然のせいではありません。
13世紀中葉、ルネサンスのはじまる直前には、
神聖ローマ皇帝の支配のもと、ナポリはヨーロッパでも、
一、 二をあらそう先進的都市でした。
先進的というのは、封建制のシステムのもとで、官僚制や、徴税から予算にわたる機構が完備されていたということです。
けれども、ナポリは、この先進性のゆえに、
フィレンツエなどの都市ブルジョワの興隆によるダイナミズムに対抗できず、
次第にイタリアにおける反動体制の基盤という立場に追いやられていきました。
19世紀末の、イタリア統一において、
当時第一の都市であったナポリは、最後まで統一に反対し、
そのために統一国家においては二義的な役割しか与えられず、
そのためにローマ、ミラノに首座を譲るはめになったのです。
先に、ナポリには日本人がほとんどいない、と書きました。
それ以上にめざましいのは、ナポリにはいわゆるファースト・フードの店がほとんどないということです。
街角でも、今ではロシア、中国ですら猖獗(しょうけつ)をきわめている、マクドナルド、ケンタッキーのたぐいが全然ないのです。
コンビニエンス・ストアも、スーパーもありません。
かつてはアメリカ産のファースト・フードを徹底的に排除していたパリでさえ、今ではシャンゼリゼにマクドナルドとハーゲン・ダッツの大型店があるというのに。
あまりにもめざましいので、現地の人に聞いてみると、
マクドナルドはごく目立たないところに2店だけあるということです。
何故、ファースト・フードの店がないのか。
その答えはいろいろと解釈できると思いますが、やはり何といっても、
当地にすでに、ピザやパニーニといった持ち帰り、立ち食い可能な軽食が多数、しかも安価に存在しているからでしょう。
実際、ピザは、安価であり、なおかつとても美味です。
日本はもとより、イタリアのほかの土地とも隔絶した美味しさで、
大袈裟でなく衝撃をおぼえるほどです。
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昔ながらの商店街 |
友人のシェフに尋ねたところ、まず塩と小麦粉が、まったく違う、
それから発酵時間の扱いが違う、
そして何よりもトマトとその酸味への解釈がまったく違うということでした。
実際、そういわれてみると、ピザでもいわゆるトマトソースを使っているのは、よほど安価な店ということになります。
ほとんどの店がトマトをそのまま潰して使っていて、
しかしこの調理はほかの土地ではできないだろうな、と思われました。
コンビニもなく、街の商店街がきわめて元気がいい。
食料品店に入ると、次から次にいろいろな人が入ってきて、
肉を買ったり、チーズを買ったり、ミネラルウォーターを1本買って、
そこで立ち飲みをしたりで、
その上一人ひとりが店員と会話をして、冗談の一つも飛ばしていくのですから、大変です。本当に面白い。
ファースト・フードとコンビニのないナポリの街で、
では一体、何が一番目立つのか。
スパッカ・ナポリという、ナポリの中心部にある、中世からの区割りを残した地域に、リブラリ通りという商店街があります。
この商店街の主力な商品というのが、プレセビアと呼ばれるものです。
プレセビアと云っても、馴染みがないと思いますが、
さまざまな小道具を使って、キリストの誕生といった、聖書の高名な場面を再現する、いわば宗教的ジオラマですね。
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プレセビアを商う専門店 |
ナポリでは、伝統的に盛んで、百年、二百年前のものが数百万円で取引されるそうですが、
ようするに一般家庭で、復活祭やクリスマス、
あるいは自分の名前にちなんだ聖人の記念の日などに、そのジオラマを作って、自宅の暖炉上などにかざるのです。
話が長くなりましたが、この商店街は、
そのジオラマを作るためのさまざまなパーツを売っているのですね。
天使とかキリストのフィギュアから、飼葉桶とか、羊、さまざまな樹木から滝までが、売っている。
さらにそれらの品を組み合わせた完成品も、時計ほどの小さいものから、ビリヤード台くらいの大きさのものまで売っているのです。
しかも、よく見ると、そうしたパーツ一つ一つが、店ごとに作りが違う。
きわめて精巧で高価な店もあれば、安くて粗雑なものもある。
そういう店をめぐりながら、得心のいくジオラマを作るというのが、
当地の人々の愉しみでありまた宗教生活なのです。
それで、驚くべきことに、ナポリの中心街に、
この手の店が、ざっと数百軒のきを連ねているのです。
これはやはり、感嘆すべきものでしょう。
ただ宗教ということに還元できない、より本質的な生活や文化とその享受についての姿勢の差異を感じました。
ファースト・フードの世界的チェーンがないかわりに、
プレセビアが繁盛している街。
その可能性については、もっときちんと考える必要があるようです。
(終)
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