【Part2 2割司法になる理由】
近代国家においては、法の支配ということを前提とする限り、司法は絶対になくてはならないものであることが、お分かりいただけたと思う。三権が分立しているのは、そのためである。
ところが日本においては、特に行政が非常に強く、いっぽう静脈の役割を果たす司法が非常に弱い。しかも日本の裁判は、行政と同じように官僚だけがそれを支配する仕組みとなっているから、本来動脈の役割を果たすべき人が、静脈で下から流しかえすといってもそう上手くいくはずがない。
しかも本来は、国民が司法を支えなければいけないのだが、その国民に司法を支える力がない。仕組みもないし、そのために自覚も生まれない。
ここに非常に重要な問題がある。すなわち、「2割司法になるのは官僚が悪いからだ」と批判するだけではなしに、なぜ官僚の支配になっているのか、国民は批判だけしていたらよいのか、ということを問わなければならない。
今回の意見書で「裁判員制度」の導入を盛り込んであるのは、そのような意味からである。手続きの中に国民が参加してくることが重要であり、これが全く欠けているところに、日本の問題点の大きな一つがあるといえよう。
国会議員はまだ国民から選出されているものの、裁判官と検察官は司法試験に受かって、研修所を終えてきたというだけである。これではいわゆる公務員と同じであって、そもそものよって立つ基盤が、試験に受かったということのみであり、国民から選出されていない。その人たちが一種の特権階級化してしまっているから、下から上へ吸い上げなければいけない問題が、なかなか上がっていかないのだ。
言い換えれば、大切なことは国民主権のもとにおける司法となっていることである。しかし、その点が日本では、なかなか理解されていない。どうも「お役人さんのやることをよしとする」という、お上に依存するクセが抜け切っていないのである。
いま、司法改革を進めるうえで、その理由としては、規制緩和が進むと行政が弱くなり、問題を処理しきれなくなるからという現象面ももちろんある。しかしもっと大切なこととして、根本的に司法の役割を軽んじてきてしまった弊害が生じていることを、ここで強く指摘しておきたい。それを見落としてはならない。動脈に変わる静脈ではない。あくまで、末端から心臓へ戻る静脈の役割を復活させるのである。
こういう基本的な問題点が、あまり世の中では説かれずにいる。もっとより根本的に、司法の役割ということを考えていただきたいし、知って欲しいと思う。
『司法制度改革審議会意見書』は、そういう点を答申したつもりである。多様な点を提言しているため、できれば全文を読んでいただきたいし、また司法改革のこれからの道筋を網羅してもいるが、いちばん最後の「W
国民的基盤の確立」は、なかでも特徴的な部分だといえよう。
もちろんいま司法試験の合格者が少ないから、それを2010年ごろには3倍の3000人に増やすとか、2018年ごろには法曹関係者をいまの2倍以上の5万人とするとか、そういう数の問題も大切だが、意見書の最後を占める「国民的基盤の確立」こそ、それを包括的に解決の方向へ導くポイントなのである。