【Part4 急激に進歩する技術と人間の生活】
―― 技術の進歩によって文化が変わる、保護しようとしても変化せざるを得ないということですが、具体的には、人の生活はどのように変わっていくのでしょうか。
西江 文化の変化ということが話題になると、多くの人は“進歩”という言葉を持ち出します。そこで、その進歩というものを例に、簡単に考えてみましょう。
例えば、百年前は東京−京都間は、汽車で1日、2日とかかったが、その内に急行列車ができて、さらに新幹線ができて、とうとう3時間そこそこで行けるようになった。このように、汽車は着実に進歩して、性能は良くなっています。
また電話機もオペレーターを必要としたものから、家庭電話、そしてポケベルから携帯電話へと、改良され、日進月歩の進歩を遂げています。
さて、鈍行列車の時代だったら、会社員は京都に出張を命じられても、ゆっくり1泊して、京都で自分の時間を楽しんで東京に帰ってくることができました。
ところが今では、違います。列車の中でさえ携帯電話を耳に当て、パソコンを広げて、仕事に追われている人がいる。午前中に京都に出張に行ったら、午後早くに東京に戻ってきて、その日のうちに再び新潟に出張などということもありうる。
汽車が進歩し、電話が進歩しても、生活そのものとしての文化には、なんの進歩もみられない。幸福な生活という目標とは逆に、管理の目の下でうろたえ、ただ仕事に追いまくられるだけの恐ろしいものになってきている。この調子でいけば、生活はますますきつくなっていく。個々の物としては何十、何百という進歩した道具に包まれた人間は、如何なる生活に追い込まれていくことになるのでしょうか。
その答えは、残念ながら分かりません。変化があまりにも速いから予測不可能ということもあるでしょう。ただ、技術の進歩とともに、それらが支える社会のシステムが変わり、人々の価値観が変わり、それに応じ人間の生活も変化するということを考えたならば、現在のわたし達には、とてもついていけないような生活観、対人観が人々を支え、方向づける。そんな日常を送る時代も近い将来にあるかも知れません。
―― 変化があまりに急激に起これば、そうした社会に対応できない人も出てくると思います。そのような人はどのように対処していけばよいでしょうか。
西江 残念ながら、そのことを解決するよい方法は見つかりません。たとえば、そういう時代だから“各自は主体性を持って生きよ”などと言うことは簡単ですが、そんなことを言われて“ハイ、そうですか”と返事をして、主体性とやらを持てたとしら変な話です。そんな単純な人がいるでしょうか。こういう言葉は人を安心させますが、本当の答えにはなっていません。
ただ、人間の生活というものは、高度の理論から見て正しいとか間違っているかに支えられているのではない、ということは大切なことだと思います。自分なりに納得するということは人間として大変重要なことだと思います。人は論理的に生活しているのはなくて、納得の積み重ねで生きている。納得とは、当人は論理的には説明ができないが、そうだと信じている、ということです。
このことは見過ごされることが多い。ということは、身近なところでは隣人、少し遠く離れたところでは他国の人、そういう人々はそれぞれ別の納得の根拠の上に生きているということです。多重文化の世界、多様な価値観に支えられた地球化社会では、他人のことは本当はよくわからないというのが、現状ではないでしょうか。
―― 人が何を信じて生きているかはそれぞれ違う。地球化社会では他人のことは本当はよく分からないのだ、と。
西江 非常に寂しいことかもしれませんが、そういう種類の社会では、どこか適当であいまいであることが重要だとか、何が起こるかわからないということに対しての覚悟が必要だ、ということは言えるでしょう。しかし、そうした発言は否定されます。人は、そうあってはほしくないという、当然の気持ちをもっているからです。
地球上には、様々な文化が各地に散っているというのではなくて、どこにいっても同じ場所に様々な文化が入り交じっているという世界の状況は、しばらくは続くと思えます。その時、“寛容の精神”とか“主体性”といった単語を使えば、なにか立派に見えますが、問題解決とは直結しません。
―― では、人はどう対応していけばいいのか、その糸口が何かあるでしょうか。
西江 人間は現状をそのまま引きずっていくことはできません。昔の生活に戻ることもできません。現状、そして変化していく現実に身をおいて生きていくしかない。個々の文化項目は、飛躍的な進歩を見せている。だが、その総体としての文化の展望は決して美しいものではない。
情報革命、地球化、世界の文化のワンパターン化、等々、こうしたキーワードで語られる世界に対応できない人々は、すでに多くいます。その人々は、この百年ほどの間、文字が読めない人々が文字社会で生きてきたような体験を余儀なくされるのです。
ただ、この状況を乗り切るためには、コンピューターを覚えよう、投資の技術を身に付けよう、などという極く極くささやかな対処の仕方は、そのこと自体が人類の生活をさらに追い詰めていくことは有り得えても、本当の意味では建設的なものではないと思います。
文化の急激な変化に対応することができない人間はどうすべきか、その事態に人間はどう対応すべきか、というような壮大な問いへの答えは、わたしの知る限りでは見当たりません。
―― 文化の急激な変化に対応できないとしても、人間はこの現実を生きていくしかない、とすれば覚悟をもって生きていくことが必要だということでしょうか。今日はありがとうございました。