今回の自民党総裁選挙において、マスメディアとの関係でふたつのことに注目しておきたい。第一は、森内閣誕生の「密室的」という批判に対して、「開かれた」選挙を演出したわけだが、そのことの意味である。ただここで関心を持つのは、地方の党員による予備選挙という新しい試みではなく、マスメディアとの関係である。
というのも、この数年、政治に対するマスメディアの影響は著しく増加し、時には政治家出演の生放送において「公約」がなされるという変則的な流れができつつあり、政治家とマスメディア(特にテレビ)の微妙な関係が続いていたからである。
今回の総裁選挙でも4人の候補がかつてなく頻繁にテレビの画像に姿を現し、一見したところ、またもやマスメディア主導の印象はある。しかし同時に、政治家のマスメディアへの不信感や、またテレビメディアの限界も露わにされていたように思われる。
橋本氏や亀井氏による(なかばパフォーマンスだとしても)マスメディア批判があり、またテレビメディアも4人の候補者の対立や食い違いを際立った形で描き出すことに概して失敗していたからである。
にもかかわらずテレビメディアは一定のイメージ形成を行い、世論に影響を与える。こうして一方で「開かれ」ながら、他方で、党内事情に依存して総裁が決定される。自民党はこれをいわば「開かれた密室政治」として、テレビ局と視聴者を巻き込んだ党選挙を演出しようとした。
しかし、世論に人気のある候補者が当選しなければ、世論は、いっそう自民党の体質を、新首相を批判する正当性をもつと考えるだろう。その場合には、政権政党の自民党から首相を選出するのではなく、世論を反映した首相選出、つまり首相公選もしくは首相国民投票制の議論が出てくるだろう。
いずれにせよ、マスメディアと自民党政治の間の駆け引きにおいて、今回の選挙は独特の位置を占める、もしくはターニング・ポイントになるように思われる。
第二に、本来は、橋本氏が立候補した時点で、橋本氏が熱意を持って実施しようとした改革(財政改革だけではなく経済改革そのもの)についての批判的な議論がなければならないはずである。同時にそのことは、(特に橋本政権に)経済改革を要求し続けたマスメディアに対する強い批判でもあるはずであった。橋本氏や亀井氏は部分的にこのことを口にしたが、結局うやむやになってしまった。
つまり、この10年の安易な経済構造改革の反省(同時にメディア、評論家などの世論形成への批判)の上に立って、新たなビジョンを討議するべきなのである。
議論がそこまで至らないのは、政治家の力量不足なのか、テレビという媒体の限界なのかよくわからないが、いずれにせよ、4人の候補者がしばしばテレビに登場した割には、実質的な議論はなされていない、という印象が強い。
問題なのは、それにもかかわらず、「開かれた」選挙というイメージがつくられ、「世論」の声にいっそうの重要性が付与されてしまうことであろう。我々は、数年前の自民党総裁選でもっとも評判の悪かった小渕氏が後には高く評価され、また世論の支持が圧倒的に高かった細川内閣が最悪の内閣となったことも思い起こしてみるべきであろう。